・三国志の「三国」って?
「三国志」とは184年に勃発した「黄巾の乱」から晋が呉を滅ぼして天下統一する280年までの約100年にわたる物語です。広大な中国大陸で群雄が割拠し、権謀術数が繰り広げられ、日本でも極めて人気のある歴史ドラマとして認知されています。
「三国」は、群雄割拠の状態から次第に淘汰され、残った魏、呉、蜀の三か国を指しています。
「正史」と「三国志演義」とは?
一般的に「三国志」として知られているものは、「三国志演義」という羅貫中(元末明初の人物)によって描かれた小説が基になっています。「三国志演義」は後に「史実7割、虚構3割」の配分と、清の史家である章学誠に評されました。この史実7割の部分に取り入れられたのが、晋の史家陳寿によって編纂された「正史」(「正しい歴史」という意味ではなく、「統一王朝が正統と認めた歴史」という意味合い)です。
「正史」は「魏書」30巻、「蜀書」15巻、「呉書」20巻の36万8000字にも及ぶ大作で「魏を正統」としたものとなっています。晋は魏を滅ぼしてできた国のため、魏を正統としなければ正統性が失われてしまうからです。
また、「正史」は「紀伝体」という人物一人一人を中心に描く歴史書で、簡素な文章を用いてまとめられました。しかし、あまりにも必要最低限のことしか書かれなかったため、臨場感に欠けるものでした。
そこで、この「正史」に詳しい解説を付け加えたのが、宋の裴松之。彼は、「三国志平話」「魏略」「異同雑語」など、210種もの史料から荒唐無稽なものは排除し、信用性が高い逸話だけを抽出して、注釈を付けました。また、三国志の史料のほとんどが「蜀を正統」としていたため、裴松之もそれに準ずることになりました。
元末明初の羅貫中は、裴松之の注釈やその他の民間伝承を織り交ぜて、感情移入のできる小説として「三国志演義」を書き上げました。面白さを追求したため、妖術、呪術、当時存在しない武器(青龍偃月刀・蛇矛・火薬)、架空の人物が登場します。
そのため、「三国志」といえばコレ!といった有名なエピソードが、実は、「三国志演義」の脚色で、「正史」には一切出てこないことが多々あります。
これからのブログの更新は「正史」を主に扱いながら、「三国志演義」にも都度触れながら「三国志」を紹介していこうと思います。応援のほどお願いします。